オフィシャルブログ☆田作健一の「狂言と戯言を一喝!」

ディリー・ワークをベースとしたマーケティング的視点での市場状況のリサーチをお伝えしてまいります。 byクリエイティブフィナンシャルマーケティング

レガシィ

カレンダーは明治時代は許可制であったようで

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弊社もカレンダーやってるが、どうやら 太陽暦が入ってきた明治時代は

カレンダーと言うのは伊勢神宮とかの特権で許可制での制作であったようだ。

しらんかった。

1900年代になって日めくりカレンダーなどが作られるようになり

現在の姿のものは昭和20年以降らしい。

しかし調べてみると意外に太平洋戦争中も企業のカレンダ―結構作らてているようである。



ロバのパンとロバの花屋

ロバ



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昔、西日本を中心に「ロバのパン」というパン屋が回ってきていた。

実は馬なのだが。

ロバは日本では希少動物である。めったにいない。

ロバのパンはいまではミニバンになって回っている。意外といい値段するパンである。

が、しかし、ロバの花屋というのがときたま、都内に出てくる。

鎌倉あたりからきているとのこと。

こいつがふらふらあるいていくのでみんな振り返る。

が、ロバも軽車両であり、道交法の適用下にある。

勝手に停車すると駐禁とられるのであろうか?

実はその辺でフラフラしている交番の巡査も、白バイのおまわりも、よくわかっていないのである。

本来は取締の対象なのかもしれないが、商売を路上でするから届けが要るのか、またはやはり車両なのか、

誰もわからにないのである。

なお、花、買わないと、ロバの頭をなでてはいけません。





柳澤屋の玉風味はなぜここにあるのか。

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非常に基本的な疑問であるが、柳澤屋というのは昔から八尾の杉田で

玉風味を作っているのだが。

駅で売っているのもすべてここなのだと思うが。

昔からここにあるので、また移動もしないので、これを不思議に思わないのだろうか?

これは本当に謎である。

誰もこれを謎と思わないのが謎である。


立体文字看板 制作急増中


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今年に入ってからなのですが、立体文字看板の制作案件が急激に増えています。
展示会での制作は、ほぼ毎月あります。

また店舗でも売場のサインディスプレイとしてこのように盛んに活用されています。

これまでは外食産業などで比較的凝った木製イメージの立体看板や、あとは電飾がはいったバックライトの立体文字の成型などがメインでしたが、最近はなんといっても展示会と個別の売場です。

それほど複雑でなく、色も無理がないのであれば、比較的リーズナブルに制作は可能ですので、お気軽にお問合せください。

お問合せは、
イベントマーケティング・オフィシャルサイト
から御願いします。

それから最近、「お問合せ」を毎日のようにたくさんたくさん頂戴しております。

「非常にありがたい」のですが、中には「非常に非常識な方」も稀にいらっしゃいます。確かに数が増えれば確率の問題と同じで、そういう方は顕在化してきますので仕方がないのですが、(つまりは以前は計算上0.1件であったものが件数が増えたことで1.0件として整数となる)なぜか年配の方にその傾向が顕著です。

企業の中で「それなり」の立場にあると「思われ」また社会人としての「見識」もおそらくは、「ある」と推定される(というかフツーの人は一般にそう思う)のですが、期待に反して「ほぼNG」です。

この理由は分かりません??

札幌にあったマツザカヤ

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ビルちょっと昔の話でもありますが、ごく最近までの話でもあります。先般、松坂屋と大丸が経営統合することになったのですが、その昔、札幌のススキノの交差点には「松坂屋札幌店」がありました。北海道の人ならみんなご存知だと思いますが。
1979年にイトーヨーカ堂とのJVで「ヨークマツザカヤ」に改称となり、1994年に松坂屋資本が撤退し、現在は待ち合わせ場所としてポピュラーな「ロビンソン札幌」となっています。札幌市電の停留所前ですから、札幌に行かれた際には、必ず寄って、お買い物をしましょう。IYカードは勿論使えます。
ロビンソン百貨店は春日部・小田原にもあります。譜面

岡本太郎の壁画はどうなったのか?

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学校私は全然知らなかったのだが、名古屋の栄の交差点にある、名古屋三越の前身である、オリエンタル中村百貨店にはその昔、岡本太郎の壁画が張り付いていたということです。最近知りました。名古屋にはしばらく住んでいたこと(1993年から2年半強)があるのですが、そんな話は聞いたことないです。記憶にあるのは三越正面玄関にいつも座っている「ライオン」だけ。壁画は「破壊された」とかいう噂もあるのですが???本当でしょうか??

オリエンタル中村の屋上には「日本最古」といわれた観覧車もあったりして、(最近撤去されましたが)結構レガシィなものがそろっていたのです。

右読み看板が銀行では主流だったのか?

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パソコン華麗なる一族も「予想通り」の展開で「かなりの高視聴率をマークして」昨日終ってしまいましたが、しばらく前(というか、ほぼその当時。昭和40年代前半)の古い写真を調べていたら、おかしな現象を発見。

銀行の横看板が「右読み」が多いことに気がつきました。この理由はまったく分かりません。今、分かっただけで太陽銀行と富士銀行があったのですが、いろいろ見ていたら、第一銀行とかでも同様の看板があったようです。

明治時代の記述に以下の文章を発見。
「・・・東京の中にて、代表的の中心地帯、日本橋の南詰にある両銀行、隣りあひながら、一つは左より読み、一つは右より読む額看板を掲げおけり。・・・」

つまり、右とか左とかは「あまり気にしないで」やっていたということのようです。写真の看板は「明らかに戦後」のものですので。ビル

東都銀行本店とはどこにあったのか

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お金よく、小説・ドラマや映画で「東都銀行」という架空の名前の銀行が出てきますが、この銀行もまた実在した銀行です。1900年に現在の豊島区高田で開業し、戦後は国土計画の堤氏などが経営していた、(一時期、杉田かおるの元夫である鮎川氏の祖父であり、日産コンツエルン創始者でもある鮎川義介が経営していたようですが)れっきとした東京の「地方銀行」で15店舗ほどあったようです。
1968年(昭和43年)に三井銀行に合併され、当時赤坂にあった本店は、三井銀行赤坂支店となったようです。(今はありませんが)
そういえば、かなり以前に仕事で御逢いした三井銀行の方で、「東都銀行入行」という方がいました。

整理してみると、現在の三井住友銀行は「住友+さくら+太陽神戸三井+三井+太陽神戸+(太陽+日本相互)+神戸+東都+平和相互+(わかしお+太平洋+第一相互)+河内・・・」という出身行員の混在組織であることが再認識させられます。きちんと言える人もなかなかいないでしょう。

さて、その東都本店だった場所は、現在の山王パークタワーの道を挟んで正面付近です。残念ながら当時の建物は現存していないようで、おそらく赤坂室町ビルに建替えられたのだと思われます。(確かではないですが)

朝日銀行本店とはどこにあったのか

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お金その昔、東京には「朝日銀行」という地方銀行が存在していました。これは「協和+埼玉=あさひ銀行⇒+大和=りそな銀行」とはまったく別のものです。都内を中心に30店舗ほどの支店があったようです。
昭和37年から、たった2年間しか存在しなかった銀行です。
昭和39年(1964年)に当時の第一銀行(その後第一勧業銀行となり、富士・興銀との3行合併でみずほ銀行)に合併されてしまって、現在は存在しません。
当時の朝日銀行入行の方も既に退職してしまって、もういないことでしょう。
(写真お持ちでないでしょうか??)

さて、その朝日銀行の本店とは、昨年秋まで、みずほ銀行昭和通支店として営業していた、中央区日本橋のビルです。八重洲通りと昭和通に交差点に位置します。東京駅八重洲口から徒歩数分の距離です。
残念ながらATMが先週、3月10日まで稼動していたようですが、今週は既にありません。改装工事中となっていました。
でも、このビルは現在でも「朝日ビル」といいます。(昭和38年竣工)
古いですが立地もいいのでテナントとしてはお薦め物件です。ビル

日本相互銀行本店とはどこにあったのか

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お金その昔、東京には日本相互銀行という大型の相互銀行が存在したのですが、太陽銀行という都市銀行に転換後、短期間で神戸銀行と合併し、太陽神戸銀行となりました。それ以降の展開は一般的に知られているように、三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行となり、さくら銀行と改称した後、住友銀行と合併して現在の三井住友銀行が出来上がります。
(太陽銀行は、「華麗なる一族」に登場する、阪神銀行の合併相手である大同銀行のモデルあるかのようにおもわれがちですが、事実とは反します。)

さて、その日本相互の本店とは、東京駅八重洲口にほど近い、呉服橋交差点にありました。昭和27年、前川國男氏の設計による戦後の代表的な建築物で、現在でも三井住友銀行呉服橋出張所として営業中です。とても55年前のビルには思えません。
古い写真は拝借モノですが、このビルの保存運動が実は存在しているということです。ビル
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